ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

頭の悪い人の母数の方が多い現実

まあ何度も何度も同じこと言ってる気がするけど、頭の悪い人の方がこの世には多いです。つまり正しさは全て頭の悪い人基準なのです。

 

頭の悪い人にとっての頭良い人は自分たちみたいなバカに都合の良い人ということです。自分たちを否定している存在が自分たちより優れていると考えられる人って少ないでしょうから。

頭の悪い人は恐らく頭の悪さにはある程度気付いていて、ただその頭の悪さに理解を示し、そのままでもいいよと受け止めてくれる人が好き。何もしなくても好かれるのがいい。つまり受け身。若干開き直ってるのに近いかな。

そして頭悪いながら、世の中には色んな考え方の人間がいて、それが個性というもので、それらは全て尊重されるべきだとされているのを知っている。頭の悪い自分も含めて。

だから自分たちを否定してくる人は全て敵。煙たい存在であり、有害、有毒、邪魔。

 

たまに私自身はどうなのかと考えてしまう。私も否定されるのが好きなわけじゃないんだけど、否定されるのが苦手なのは否定されることそのものが苦手だからじゃない。否定の内容が大体的外れだから。こういう記事みたいなことを言うと「傲慢な考えだ」みたいな感じで反論されるんだけど、傲慢な考えは別に間違いなわけじゃないし、傲慢=ダメって考えがまず意味分からない。考えとして否定してくれればいいのに、傲慢な考えだよ(だからダメ)って言うだけで間違いであることを証明した気になるのはどうかと思う。でも、こういう考えこそ頑固で頭の悪い、新しいものを拒むということなのかと気付くけど、自分はそうではないと同時に考える。ただバカってバカなことにも気付かないわけで、じゃあ自分は傲慢さにすら気付かないバカなのか?と。

 

こういうことを考え出した時は基本的にメンタルがやられてる時。寝不足だとか、ストレスで追い詰められてる。自分が悪いんじゃないかという可能性を考えるけど少なくとも自分ではそうは思わなくて、ただ思わないならまずくね?みたいな。周りに聞こうにも、基本的に頭悪い人が多いと今まで思ってたこともあって納得いく考えはくれない。思考の無間地獄って感じがする。

 

地獄にはまる度最後には必ずこういう結論になる。

「集団で生きるには傲慢というのは悪いのだろうし、つまり周りは頭悪いと考えるのは悪とみなされるのだろう」と。

基本的に普通の人間は集団社会で育ち生きていくので、集団に適応できるのが正義でできないのが悪と考えると思います。じゃあ傲慢が悪と捉えられるのも不思議ではないなと。

 

コンピュータはそのコンピュータ単体で自分の正しさを証明することができないと言いますが、人間もそうで、自分で自分の正しさの証明って無理なんだなと思う。事実を事実と認識することはできるけど、その認識した事実は周りにとっては事実ではないとなると、歯痒い。

 

ここまで考えて、少し戻る。じゃあ頭の良さってなんだろう、と。論理的で、1本のロジックに沿った考えを持った人だと思ってたんだけど。なんか最近だと「頭良いだけじゃダメ」みたいな風潮が強い。ところで「◯◯(長所)だけじゃダメ」的な考えって最近増えたね。出どころはどこなんだろ。

 

知性は人に好かれやすいらしい。でも私は人には好かれない。じゃあ私はバカなのか。周りは論理性もなく思考力もなく、正しいものを正しいと認識できないように見えるけど、バカすぎて頭の良い周りが頭悪く見えるのか。

モウナニモワカラナイ。