ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

サラリーマンって生きてて楽しいの?

賢い人は既にこの事実に気付いていたのかもしれない。

 

 

私は個人で活動して個人で営業して仕事をもらうので、一応フリーランスということになります。

 

社会的信用がなくローンが組みづらいとかクレカ作りにくいとか色々あるっぽいんですけど、まあそもそもローン組まなければいいしクレカ要る?って感じなのでデメリットを感じたところは今のところはないです。

 

でも強いて言うなら、やっぱり不安定なところかもしれません。なかなか収入が安定的に入ってくる仕組み(提携先)が作れません。例えるなら色んな家を渡り、色んな人に会いに行く野良猫でしょうか。猫が好きな人間は多い(気がする)のに対し、餌をくれる人となると少なくなります。フリーランスに仕事を与えるつもりで募集しているところは多いですが、与えてくれるところは実は少なかったりします。

 

反対に、会社員は例えるなら飼い猫でしょうか。寝ているだけでお金がもらえるわけではありませんが、少なくともそこに属しているだけで毎月一定の収入が得られます。あと楽。

 

ただ、なんとなく、会社員が野良猫のような気がしています。

 

飼い猫のように安定はしてますけど、会社員って実際楽ではないですよね。未だに接待とかあるのかは分かりませんが、サービス残業とか、ブラック企業とか、最悪の場合過労死とかよく聞きます。最近は終身雇用むずいってトヨタの社長が言っちゃったりとかして、もはや安定すら怪しい。

 

しかも収入の量がイマイチ。新卒で額面30万円もらえるところって結構少ないし。沖縄の水準が低すぎて悲観的になっているだけかもしれません。

 

…と思ったんですけど、上場企業の約8割、2861社が回答した東洋経済の初任給アンケートで、30万円以上と回答したのはわずか8社。掲載されていたのはトップ500社だけだったけど、トップ層の、しかも500社掲載で初任給30万円こんなにないの?やばいでしょ。

 

一応外資金融みたいなものも合わせたらもっとあるんだろうけどさ。野村証券の名前すらなかったから、意図的に回答していない企業もあると思う。

 

ただそれでも少ないなあ、と思ってしまう。だって野村証券入るような人は、むしろ起業とかフリーランスで個人として活動する方が明らかに結果出せると思う。野村証券に就職する労力と、結果を出す努力を個人活動に注いだら、確実に実績としてもっともっと自分のためになるんじゃないかな。

あ、野村証券とか外資金融のようなエリート企業で働くのは別に否定してません。むしろ羨ましいです。そんなところで働ける実力と根性があるのは相当優秀だと思います。

 

猫は一般家庭で生活していても安定的に餌がもらえるわけで、金持ちの家に飼われないと餓死してしまうほどじゃないし。

就職自体が難しい企業に就職しないと安定しないってそれは安定じゃない気がするし、実力主義の会社は、もはや野良猫のような熾烈な縄張り争いを繰り広げているのでは…?と思う。

 

公務員なんてもっと給料低いし。特に教師は言わずもがな。

 

「サラリーマン」という括り方も良くないのかもしれない。地域差とかを考慮しないと初任給の現実的な数字は分からないしね。

例えば沖縄銀行の初任給は14万円。沖縄においては最強格のサンエーという大手スーパーでも初任給18万円、同じく最強格の大手スーパー(?)の「かねひで」では初任給17万。

 

私は絶対就職したくない。ニートしてる方がマシ。

 

反対にフリーランスは、不安定ではあれど、報酬の質は高いように感じます。

さらに野良猫は色んな家に行き、色んな人間と出会います。その結果、安定して餌をもらえる場所や、餌をくれやすい人間の特徴が分かったりするんです。

コンビニの前にいる野良猫なんかは良い例ですね。

 

で、ここからが野良猫の本番。コンビニの前にいても必ずもらえるわけではないじゃないですか。

例えばなんですが、

 

・スーパー

・飲食店

・個人宅

・アパート(学生アパートだとより良い)

・大学のように、若い人が多く集まる場所

(下2つは、若い人の方が餌をくれるんじゃないかという根拠のない仮説が基になっています。)

 

このように、餌をもらえそうな場所っていっぱいあります。これらを転々としていくのが1番良いですよね。コンビニでもらえなくともスーパーではいけるかもしれないし、個人宅や飲食店でももらえるかもしれない。

 

フリーランスって大体こんな感じ。つまり兼業ができるということです。「ライター兼プログラマー兼ブロガー兼Youtuber」みたいな働き方が実現可能です。ブログ収益が少なくても、他で生活できる。YoutubeチャンネルがBANされても、他で生活できる。1つがダメでも他があるという安定を手にすることができます。

 

野良猫が実際に餌を溜めるかは分かりませんが、逆に兼業全てが上手くいった場合、その報酬は単純に4倍です。これは8時間縛り+残業のある会社員には難しいことだと思います。

 

さらに言えばフリーランスは、できるだけブロガーやYoutuberのような、あまり働かずとも収入が得られるものと兼業するとより良いです。ただでさえ安定していませんからね。もちろん初動は相当力を注ぐ必要はあるかもしれませんが。

 

 

フリーランスのデメリットである不安定な面は、個人の努力によりほとんど打ち消すことが可能です。でも、会社員のデメリットである、人間関係だのサービス残業だのは消しにくい。記事を書いてて本気で思いましたが、サラリーマンという生き方は息苦しく楽しくなさそうだと思った21の夜。

「◯◯時間やればいい」みたいなやつの罠

よくありますよね、こういうの。

「東大受かるには4000時間勉強する必要がある」とか。

 

他には、まあどちらかというと痛い人にありがちですけど、

「自分は100冊本を読んだ」とか。

「今日は10時間勉強した」とか。

 

思うに、◯◯時間やらなければスキルが身に付かないとかなんとかって、物理的に必要な時間のことじゃないかと思う。

 

例えば東大に合格するには4000時間勉強しなければならないというのを、比喩とかではなく、本当に4000時間必要なのだと条件付けます。ノルマってことにします。4000時間勉強すると東大に合格することにします。

 

この時、大抵の人は4000時間勉強するのを目標にしてしまう。

読書100冊も同じ。多分100冊読めばとりあえずどうにかなるとか思ってる。

 

これはむしろ、4000時間かける必要があるのではなく、4000時間かかることをした、もしくはする必要があるから4000時間なんだと思う。

同じ4000時間でも、習得に4000時間かかるスキル1つと、4000時間かけてしまった結果身についたスキルでは全然違う。

100冊読んだ本達も、100冊読む必要があったわけでもなく、見識を得るために手当たり次第読んだ結果100冊なんだろう。

だからこそ数や量を自慢するのはダサいんだと思う。10時間勉強したとかじゃなくて、そういった人達の場合、経過した時間よりも内容の話をするだろうから。

英語を習得するために留学に行った人たちに留学の感想を聞くと、大抵思い出話になるのと同じ。英語が身についたなら英語の話をするでしょう。

 

「何を当たり前なことを…」と言われると苦しいですが、ふと思ったにも関わらず印象に残ったのでメモ。

多分感覚的には気付いていたのかもしれませんが、言語化するとハッキリしていいですね。

余命半年3 と 副業・フリーランスのメリット

ついに10月になってしまいました。

 

私はとある目標を達成できなかったら年内に死ぬと宣言し、もうあれから4ヶ月も経ってしまったことになります。

 

実は、そのとある目標というのが、月100万円を稼ぐことなんですよね。

半年でこれは流石に無茶だったかなと反省しております。

 

現時点で私の収入は月40万円ほどなんじゃないかというところです。

何もない21歳の大学生が数ヶ月で、就職もせず、個人の力で月40万円まで稼げるようになったというのは素晴らしいことですけど、100万円には到底届かない。

40万円といっても業務提携で別の人のビジネスに携わるだけなので、結局は就職で会社に依存するのと変わらないんじゃないかとは思うんですけども。

一応残りの3ヶ月、やれることは全てやります。確実にやれることは少なくなっているわけですが。

 

でも、残り60万円なんてどう稼いでいいのやら。アフィリエイトやるにしても成果が出るのは時間がかかるし。

転売も少し時間がかかる。色々他にもありますけど、どれにしても60万円稼ぐには死に物狂いですかね、文字通り。

 

 

月100万円稼ぐ〜とか言ってて最近(今更)思ったこと。

副業ビジネスや、最近だとフリーランスなんかが流行っていますけど、それらの最大のメリットは自由なことではない気がします。むしろ「世界中のどこにいても日本円が稼げること」じゃないでしょうか。

 

例えばベトナムであれば、平均年収は30万円なんですよ。月あたり2.5万円とか言われています。

そんなところに月40万も稼いでるやつが行ったら大富豪じゃないですか。平均年収が月収なわけですから。日本でいうと平均年収400万円なので、月収400万円になるような感じです。

 

ベトナムドン(VND)は世界で2番目に価値が低い通貨なので、首都圏でジム付きプール付き家具家電付き3LDK、敷地内に銀行やスーパー完備のハイグレードマンションでも(階層にもよりますが)、私の調べた範囲では家賃10万円から15万円くらいです。高くても20万円。

家賃はドルで払うのでそのまま10万円前後と若干高いですけど、残り10万円もあれば普通に富豪生活できるわけですよ。月30万円だと6万から7万円ほどの税金が取られるっぽいんですが、めっちゃ適当に家賃10万円、生活費10万円(平均月収の4倍)、税金10万円みたいに考えても全然いける。多分。

ていうか家賃10万円でもこの条件は安い…よね。

 

あ、私はベトナムに詳しくないので、気になった方はちゃんと調べてください。

 

こういうの考えると、日本に暮らすのってあほくさいよね。海外に行く人が増えてるって話がなんとなく理解できた気がする。今更だけど。

ただここに来てペット持ちっていうのが少しネックになってる。ハイグレードってペット禁止多いよねえ。

なんかズレてる人

自分のゼミの人の話ですが、こういうタイプの人間はかなりの頻度で出会う気がする。

 

事あるごとに自分の能力を誇張して自慢している人っているじゃないですか。

自分はこんなことをしている。ほくそ笑んでいるその顔からは、まるで自分の方が上だと主張していそうな人。

 

いやこれだけなら私が劣等感を勝手に感じているだけの被害妄想バカと同じなんですけど、この人、大したことをやっていないんですよね。そのせいでどうも薄っぺらく見えてしまう。

 

例えば、シェイクスピアを観たことがあるかと言われてないと答えると、「シェイクスピアの劇くらい見とけw教養としてw」みたいな。

シェイクスピアが好きで、舞台を観に行くのなら分かる。

自分も別に嫌いじゃない。

でも「教養として」って言い方がよく分からなかった。

 

似たようなのでよくいるタイプだと、クラシックとかジャズを聴いていると大人だと勘違いしている人達にそっくり。

別にクラシックやらジャズを聴いている人たちは好きで聞いているだけで、教養のためとかじゃないのに。

ただこれをどう説明していいかも分からず黙り込んでしまった。

読書は高尚なものだとか、香水は大人だとか、そういった勘違いをしている人って結局ハイカルチャーなものに憧れを抱いているのでしょうか。

 

彼はMONGOL800の英語歌詞の曲を聞いて満足するような人だったので、なんか変な人だと思いました。

いわく英語は訛りがあろうと英語レベルが低かろうと英語学習に役立つのだそう。

そんなことをずっと言っているから彼の英語レベルは低いままなんだと思うのですが、気付かないんでしょうね。

 

自分も別にクラシック聴くし、オペラの歌だって聴きたくなることもあるので、それら自体を否定する気はありません。

同様に、ラップだって聴きます。エミネムはラップって感じしませんが、エミネムは好きです。

 

ハイカルチャーに触れているから自分は特別だとか優れているとか、そんな訳の分からないことを言っているのはどうかなと。

実際ハイカルチャーが好きで浸っている人は社会的に成功する可能性が高い(大学の研究だった気がします)とか聞いたことはありますが、少なくとも彼らは好きで浸っているので、ハイカルチャーではなく優越感に浸っている人には関係ないでしょうね。

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多分今まで書いた記事で1番頭悪そうなタイトル。

 

それでも、正直頭の中こんな感じです。

今だと、知能ってなんだろう?と考え出すと、答えが見つからなすぎて疲れるんですよ。

頭の良さっていう強烈な指標がないと自分を自分で頭が良いと思えないもどかしさに苦しんでいるのかもしれません。

 

例えば頭が良いと他人に思わせたいのなら、それっぽい肩書きを持てばいいのです。モンドセレクション金賞とかね。

IQも結局そんな感じなのかなあと思ったりしています。というかテストごときで知能測れてたまるかって感じだし。ギフテッドもよく定まってないし。

だからといって、「自分は頭が良い気がするのだけれど、でも確固たる証拠がないからなんとも言えない」みたいな、この世にありもしないものを探すように、ありもしない根拠を永遠と探す人生はイヤ。だからこそ半年で結果出せなきゃ死ぬとまでこのブログで宣言してしまったわけですけど。

 

頭の良さって頭の悪い人には理解できないんですよ。人の頭の良さが理解できるならもはやそれは頭良いじゃないですか。自分がどの程度頭が良いのか悪いのか判断できなきゃ、人の知能なんか感じ取れない。

ただ、これを伝えることもできないので、すごくムカムカするんです。

 

頭の悪い人が世の中に多いのも理解しているつもりなんですが、ただ恋愛が絡むとそうもいかない。

ある1人を好きになってしまったとして、その人に頭が悪いと思われたらほぼ終わりだと思っています。どれだけ自分が頭良いと思っていても意味がないんです。

人間は、1人、もしくはある程度の人数を摘まみ取って、その人(たち)の価値観や意見を重視すると頭が悪くなるんだと思います。自分で考えても、相手の価値観との違いにより、自分の意見は無駄になるため思考を止めてしまうから。

「自分はこう思うけど、相手がこう思ってるなら、自分の意見というのは間違ってるかも…」と考えがちなのが人間なのです。そして人と関わりがないと思考力が上がるという研究結果が出てるのは、恐らくこれがないからでしょう。そしてこれがあるから田舎の人間は頭が悪い。

 

狭いコミュニティにいると、やはり数名ほどの人間に嫌われてしまうとアウト。その結果思考力が下がり、自分は頭が悪いんだと考え始め、後ろ向きな考えを持ちがちになり、自信がなくなり、そして結果も出なくなる。

その失敗を周りは囃し立てる。

そして「やっぱり自分はダメな人間なんだ」と考える。以下ループ。

 

恋愛するとどうもこのループが再発しやすい。

手っ取り早いのは結ばれるか玉砕かなんですが、今度は頭悪い人に囲まれているせいで、それすら許されないのです。

恐ろしいですよこれ。「好きな人のことを考えると胸が苦しい」とかいう幸せな意味ではなく、マジで胸が苦しい恋愛初めてなくらいですから。人に好かれるのも嫌われるのも許されないのです。生きるわけでも死ぬわけでもなく、植物人間なのです。

 

「とにかく話しかけたらいい」としか言われないんですよ。話したことない人にどう話しかけるのかって話なんですけど。

私究極の照れ屋なんです。無理です。コミュ障です。それでも「他人が何するかなんて興味ないんだから自分でどうにかしなきゃいけない」としか言われないんですよ。でもこいつ「自分はあなたの友達」というのを自称してきやがるんです。控えめにいってゴミ。

 

何が言いたいかというと、長くなりましたが、サポートしないゴミが(頭)悪いのか私が(頭)悪いのか、明確な定義があればいいのにってこと。私からするとただの役立たずなので、ゴミが悪いんですけど。

 

知能の定義があればなんとなく判断しやすくなるんだけれども。

ただ知能って結局なんなのか分からない。

自分の世界だと知能の基準の中心は最終的には自分でしかない。自分はどういう理由で頭が良いか分かる。相手はどういう理由で頭が悪いか分かる。ただ、他の世界では通じない。

このもどかしさがムカつく。

 

で、結局「自分が頭悪いんだ」って決めつけて、謙虚(笑)に接するしかない。

好感度下げないように、できるだけ変なことは言わない。

面白い人でいなきゃいけない。

見た目には気を使う。笑顔を忘れずに。

 

全部めんどくさいし自分らしくないなって思ってると、今度はこんな恋愛すべきなのか分からなくなってくるんですよね。

こんな恋愛っていうか、恋愛は多分全てこんな感じですけど。

好きな人相手になら自然と全部やりますけど、人間とも思えない人を前にしてはできない。一応、愛想笑いならいくらでも。

 

まあ自分から恋愛を切り離すのは無理だと思います。毎秒恋愛してるような人間ですから。

恐らく依存相手が欲しいのでしょう。一生1人は多分自分には無理だし、それが分かってるから好感度はとりあえず維持しておく。できるだけ好みの人で、いつでも恋人ができるような体制は整えておく。というか好みじゃなかったら浮気するので、好みじゃないと無理。

 

ここまで考えてるともうめんどくさいんで玉砕したいくらいですけど、急に知らない人から告白されるってなんか気味悪いじゃないですか。狭いコミュニティにお互い所属してるのもそうですが、私としては好きな人だと嫌われるのは嫌だし。変な噂流されても困るし。

 

二重というか、もはや三重くらいのジレンマです。だから恋愛ってめんどくさい。頭悪い人に好かれなきゃいけないって、それっぽい肩書きを持ってればいいんですけど、こちらにも多少の罪悪感はある。多分詐欺師症候群ってこんな感じなんでしょうけど、モンドセレクション掲げてファンができても、こっちは何もしてあげられないんですよねえ。かといって本物を掲げても伝わらない。

 

頭良い人がする話題と言うと薄っぺらく聞こえますが、個人的にはやはり「知能ってなんだろうね?」「優しさってなんだろうね?」みたいな、哲学的で、抽象的な話をしたくてたまらない。サピオセクシャルなんじゃないかと思いますが、異性の知的な人がすごい好きで、その人と知的な会話するだけですごく安らぐんです。心が。年上でも年下でも。

 

まあそもそも、「哲学的で抽象的な話が好き。多分サピオセクシャルなんだと思う。」なんて話も、誰ともできないんですけどね。本当辛い。

 

「あー私って頭良いわー誰もついてこれないわー」って話でもなくて、割と深刻に悩んでるんですよ。この悩みすら自慢に聞こえるような人達のコミュニティって息苦しくて吐きそう。そしてこんなコミュニティで見つけたダイヤモンドも、ゴミに埋れてるせいで手が届かない事実にも頭を抱えることになるなんて。

 

知能が数値化できたら、私の人生はもう少し楽しくなってた気がする。私が頭良いなら、数値化して周りに分かってもらいたい。「頭良いって別に良いことだけじゃないんだよ話題合わないし感性違いすぎるし自慢にしか捉えられないんだよ」という悩みに共感してもらいたい。頭悪い人には突きつけられた数値を基に自己改善に励んでもらいたい。

 

 

でもそんな世界どこにもない。

知能の正体は未だに分からない。

牛丼と死

吉野家に来ました。

 

 

何故か分かりませんが、牛丼が好きです。美味い。

例えば私の年収10億円くらいになったとして、それでも食べに来るかもしれない。それくらい好き。なんなら毎日食べてしまうかもしれない。

恐らく牛丼を私がまあまあの頻度で食べていると知った時、世間の目は冷たいでしょうね。世間というか、常識的な人間というか。

健康に悪いとか、もっと良い食べ物があるとか、まあそんな感じでしょう。

でも、私からしたらどうでもいいんですよね。当たり前ですけど。好きなもの食べたいし。周りの目気にしてご飯食べてるわけじゃありませんから。

 

私は恐らくいわゆる恋に恋するタイプの人間かもしれません。思えば、恋愛した時としてない時とで、活力が明らかに違う。そして失恋したら、最初に考えるのは死です。私にとってのオンリーワンから振られたのならそれはもう死を考えるくらいこの世の終わりなのです。

( この死はどちらかというと病み系の死です。)

 

何故私は失恋したくらいで病むのか。

多分ですが、私の人間関係のキャパって1人なんですよね。それは自然と恋人になるんだと思います。

 

少し脱線しますが、友達とか、友情なんかマジで役に立ちませんからね。話も合わないし、つまんないし、「最近ふと思ったんだけど、生き残るために進化してきた生物ってなんで寿命捨てなかったんだろうね」みたいな話を本当はしたいんですよ。割と真面目に気になるので。答え合わせという意味で話がしたいのと、相手はどう考えるのかが知りたい。自分なりに出した答えが間違ってたなら間違っていたということに気付きたい。

そして自分は何故そう考えてしまったのか、そこから自分はどういう人間なのか、相手とはどう違うのかを考えたい、知りたい。

 

( 食べながら書こうと思ったら食べ終わってしまった。ショック。 )

 

でも、そんなことをできる人はいない。少なくとも友達レベルには。

あと私が友情に求めてることが全て恋人に求められるべきものだと気付いたんですよ、つい最近。

私が病んだらとりあえず慰めて欲しい、労ってほしい、心配してほしい、みたいな。

友達レベルだといないんですよねーこれが。だから役に立ちません。というかむしろ心配しなくて当たり前なのかな?死にかけてても誰も助けてくれやしませんでしたよ。

てか恋愛にすら協力してくれませんからね。もうただのカカシじゃん。

 

そんなこんなで、私が人に求めるのは全て恋人に求めるものなわけです。なので失恋は恐らく自分の持ち家が津波で流されたくらいの喪失感があります。被災者の方がいたらごめんなさい。

 

私は今ちょうど軽い喪失感を味わっています。というのも、どうしても今の気になってる人と繋がる未来が見えないんですよ。なんだか嫌われているような避けられているような未来しか見えない。ネガティヴ思考なんですかね。

だからだと思いますが、もう既に失恋したような感じしかしません。実際には起きてないので、軽い喪失感程度で済んでいます。

 

この喪失感の根源みたいなものを探ると、どうやら世間が決める幸せというか、世間体を気にするような感情があるということに気付きました。

例えば、お相手はルックスが良い人でなければ嫌です。私は大したことないのに。

ルックスが良い人と幸せになりたいのは、ルックスが良い人が好きというよりも、ルックスが良い人の隣にいる幸せな自分を周りに見られるのが好きなんですよ。承認欲求の塊ですねこれ。

まあそれ以上はほとんど何も求めないんですけれども、ルックスが悪い私がルックスの良い人を求めるものだから、全然上手くいかない。

そうなると喪失感ばっか味わってて当たり前なんですよねえ。

 

牛丼に戻ります。

私は牛丼が好きです。大好きです。

誰が何と言おうとまた食べるでしょう。そこに人の目は関係ないという考えが存在しているはずなのに、なぜ人生観には存在しないんでしょうか。

私が病んで死にたくなったとして、例えば今気になってる人と一緒に人生過ごせるかもとか考えると死ねません。もしくは死なないでと言われたら多分死にません。

メンヘラかも。

てかこれ私の妄想でしかないね。笑うしかない。

 

普通は死にたいんだから死ぬよってなってもいいと思うんですが、どうも恋愛とか人生観においてはそうでもないらしい。

若いからこその極端でもあるのかもしれません。私は恐らくこの物語の主人公でありたいと願うんだと思います。シンデレラが王子様に巡り合うように、ピノキオが人間になれたように、幸せは必ず訪れるもので、その幸せは周りから幸せだと思われて初めて幸せが成り立つのでしょう。

そして幸せが消えてしまったら、私の人生は成り立たない。王子様が暗殺されたら、ゼペットおじさんが死んだら、幸せにはなれないのです。

 

 

でも、逆に私の人生は牛丼でもない。牛丼が食べられなくなったとしても別に死のうとは思わない。

人間関係のキャパが1人だと、まるで自分の人生には1人の人間しかいないような気がしてめちゃくちゃ不便かも。

 

好きな人がマッチングアプリを使っていた

気になる人がマッチングアプリにいました。

 

はい。どうしていいのか分かりません。

 

まず、本人と確定したわけではないということは記述しておきます。あくまで「偶然にしてはできすぎていて、本人じゃなければ奇跡と呼べるほど顔から性格までの特徴が似ている」だけです。

 

そして相手を責める気はありません。マッチングアプリを使っているのを発見できるということは、私も使っているということですから。マッチングしたことありませんけど。とりあえず相手には聞いてみますが、ある程度仲良くなってからが良いかもしれませんね。

 

顔写真はボカしがかかっておりハッキリ見えませんが、特徴はそっくりです。瓜二つなレベルで。

名前はイニシャルがひらがなで書いてあります。例えば「えー」「えす」「けー」のように。あの人のイニシャルは苗字と下の名前共に同じなので、そういった特徴が反映されてるとも言えます。「えすえす」のようにいちいち書く必要がない的な。

身長も聞いたことはないけど多分同じくらい。自己紹介文では相手の、私は今まで会ったことがない、珍しい特徴と共に挨拶が書いてありました。

年齢も同じ。あの人は同じゼミなので、もちろん私と同じく英語が扱えます。そしてあの人のプロフィールの言語欄には日本語と英語が書いてあります。

趣味は私が初めて聞くものが書いてありましたが、まあ話したこともないなら初めてでも違和感はないでしょう。動画鑑賞が含まれているのはイメージ通りでした。

 

ただの憶測でしかありませんが、同じイニシャル、似ている顔写真、同じ年齢、同じ言語、大体同じくらいの身長で、同じ珍しい特徴を持ち、価値観なども似ているのなら本人ではないでしょうか。

これが奇跡じゃなければ何が奇跡なのでしょうか。恐らくあの人でしょう。

 

直感的に異性が苦手そうだなあと思いつつ、内気で人見知りで大人しそう、実は恋人も欲しいのかもとか色々感じていたのが、これで100%正しいことになります(これが本人なら)。

マッチングアプリを使うのなら、相当必死になっているはずです。確か直近で半年以内くらいに、あの人の知り合いに恋人ができたそうです。触発されているというのもあるかもしれません。

というか同じゼミで私が片思いしていて、それでいてお互いマッチングアプリ使ってるとか、価値観近すぎて今すぐ付き合いたいくらいなんですけど。

 

昔から私の中で直感は思考に勝るなあと思うことが多く、気になっていました。どっかの大学の研究でも、考えた時より感じた時の方が正答率が高かったとかなんとか聞いたことがあります。ソースは忘れました。

 

思考ばかりではなく、感じた特徴をそのままの事実として扱うと、人生は上手くいくのかもしれませんね。

 

誰にも言えないこのモヤモヤをブログに吐き出せてスッキリしたので、さっさとやるべきことをやります。