ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

教師になる人ってどこかしらぶっ壊れてる気がする

またバカの悪口。

 

沖縄という土地は、かなり特殊なのかもしれません。偏差値が全国最下位というのもありますが、なんかこう頭の悪い人が大量にいる気がする。もしこれが世界中どこにいても同じ比率で頭悪い人がいるのなら、かなり絶望します。

 

いつなのか、誰がやったのか具体的には分からないけど、「子供のためを思ってやっているにも関わらず、授業のための準備や、子供達にどう教えるかを考える時間、そしてその教材研究はあくまで勤務時間外とみなされ給料がもらえないのはおかしい給料上げてください。」ということを訴えた活動があったそうです。

元々実は教員志望だった身としては、呆れた。子供のためを思って行動しているのならそもそも金なんか求めるなよ。

 

前提として、確かに、教員というのはボランティアでやっているわけではないし、お金がもらえないとそもそも生活していけないのは分かるけどさ。理由として「子供のためにやっている」を挙げておいて「金をもっと出せ」ってなんか気持ち悪い。せめて「教材研究のための費用は出してほしい」みたいなことくらい言えばいいのに。そもそもそういう仕事のための勉強って教員に限らず大体の職業は勤務時間外にやるよね。学校の宿題は勉強に含まれないのと同じ。結局やってて当たり前の範囲でしょ。

 

でもこういう考えが良くないのかもしれない。実際私が志望をやめた最大の理由は、給料が少ないから。給料と労働が明らかに見合ってないから。同じ考えを持っているということで、支援すべきなのかな。

 

…ただ、この人たちは見合ってないのを知ってて志望、もしくは教師をやってるわけで。

なんで給料の低さを嘆いているんだろう?と思った。普通に他の仕事やればいいのに。

 

こういう人たちってつまり自分の頑張りに見合った結果がないと嫌な人たちなんだと思う。かくいう自分もそうなんだけど、だからこそ教員にはならない選択をした。例えば熱心に教えても子供達が真面目に勉強しなかったら?テストの平均点が明らかに上がっているのに給料は変わらないことを考えたら?自分には向かないなってすぐに分かる。だからやめた。

 

見合った結果が出ないと嫌っていうのは、何かを始めた時に上達しなかったり、周りの人が褒めてくれないから辞めるのに似てる。上手くもないし誰にも褒めてもらわなくてもいい、好きだからやってますってタイプが強い。それがいわゆる趣味なんだろうけど、教師はほとんど趣味として、ボランティアレベルで考えないとマジでやっていけないと思う。

 

だから教材研究の時間も賃金出せとか言ってる人たち、それに同意している人たちにはどう考えても向いてない気がするんだけど、なんで教師なんだろう?他に良い職業いっぱいあると思うんだけど。公務員ひとつ取っても教師以外の仕事っていっぱいあるじゃん。そこを目指せばいいのに。んで教師みたいに教えることがしたいのなら、自分の子供にでも、旦那にでも奥さんにでもやりゃいいのに。好きなことが仕事じゃないとダメなのかしら。よく仕事で自己実現をしたい人たちとか、“やりがいのある仕事“みたいな幻想を追い求めている人ほどこういう仕事に就くよね。んでその後に現実を知ってグチグチ文句言う。自己実現ならプライベートで、やりがいはズバリ給料に求めればいい。結果が見合ってればやって良かったって絶対思うよ。絶対やりがいのある仕事だって思えるようになる。

 

ここまで偏見で、ここからも偏見ですが、教師になりたい人は無条件で人の上に立てるチケットが無意識的に欲しくて、気付かぬうちに教師を志望してるんじゃないかなと思う。教えるってつまり上の人間ってことだしね。人に何かを教えて、それで人が成長する姿というのが見たいならプライベートでやればいいとしか言えないんだけど、多分プライベートでそんなことができる知識や知恵がないんじゃないかと思う。だから教師。「だから教師」がすでに訳分からないけど。

 

なんとなく悶々としたから書き殴りました。

考えてみると、学校の教師、もしくは志望者でまともな人間を見たことがない。マジで。

これから偏見を払拭する機会は訪れるのかなあ。