ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

評価基準が「自分ができるかどうか」の人たち

いわゆるほならね理論のお話。

 

私はよく人を褒めることを知らないとか、頭が固い人だと思われます。むしろ褒められるレベルのものを持って来れない方に責任がある気がする。やべーものを見たときは文字通り空いた口が塞がらなかったりするし。例えばこの曲良いよねみたいな話された時、単調なメロディだし歌詞もそこら辺にあるような内容なのになんでそう思うんだろうと疑問に思うことの方が多い。

周りの人は何でもかんでも褒めてるなって印象がある。すごくどうでもいいことでも大袈裟に褒める。あの人は別格だ、みたいな。最悪天才呼ばわりしてたりする。

 

基本的にそういう人たちの評価基準が、自分にできるかどうかだということに最近気付いた。音楽だろうと美術だろうと、自分には作曲作詞できないであろう曲、描くことのできないであろう絵であればとりあえず感動してる。例えその作品のレベルはそれほど高くなくても。

そんなこと言ってる私の場合でも、自分と比較してすごいかどうかを判断することはあるんだけど、そういう時ってそのジャンルに対して知識がないことが多い。1つしか知らないなら、その1つは勝手に1位になるわけだから当然だよね。だから、評価基準が自分にできるかどうかにある人たちは、知識が浅かったり、特にそのジャンルに精通しているわけでもなかったり、もしくは小学生みたいな人であることが多い。

実際に米津玄師のとある曲のコメント欄で「聞いてて心地よいのは、歌詞の最後の文字の母音が統一されてるからなんですね。やっぱりこの人はすごいです。」みたいなコメントを見たことがある。韻を踏むということを知らないってさすがにどうなのよ。もちろん自分も音楽にどっぷり浸かってるタイプではないけどさ、自分の評価基準の甘さに気付かないのはまずいでしょ。作品のレベルを相対的ではなく、絶対的に評価しろよって話であれば、やっぱり知識が不可欠なんだろうなあと思う。

 

米津玄師といえば、最近だと米津玄師とあいみょんが天才呼ばわりされてるのは全く理解できない。批判する気は全くないけどね。天才という言葉を軽々しく使わないで欲しいのもあるけど、天才どころか、そこら辺にある曲と何が違うのかが分からない。

 

ただあいみょんは誕生日が同じなので好きです。

3月6日です。曲は聞かないけど。

 

Youtubeのコメント欄にでも「そこまで良いとは思えない」とでも書こうものなら、じゃあこのレベルの曲を作ってみろと言われるんだろうとは思う。自分にできるかどうかを基準にして評価するって失礼に当たるんじゃないかと思うんだけどね。プロでもない素人の自分と比較して、素人にはできないことをやってる!自分よりもすごい!みたいな評価って、むしろ煽りと取られても文句言えないと思う。いやお前誰だよ、何様だよ、みたいに思う人いるんじゃないかな。

 

評価基準が自分にできるかどうかで考える親というのもやばい。例えば1+1というのは少なくとも大人の自分には解ける。でも6歳の子供は解けない。だからなんで解けないのか問い詰める、みたいな。自分が評価基準ってつまり客観的に考えられないから、自分の立ち位置が分からなかったりする。自分の事も分からないんだから、子供の事なんか分かるわけがない。鏡見て自分だと認識できない動物と一緒。

 

 

この話は少し前に記事にして愚痴った、話題を中心に置いて会話できない人の特徴にも似てると思う。必ずどちらかの話し手に基準を置かないと話ができない人。じゃあお前がやってみろとか言われると、いやこっちができるかは関係ないんだけど…?って思う。

妙に神格化したがる人もヤバいのが多いなって思ってたんだけど、実際天才呼ばわりしたがる人たちも同じグループに入ると思うと、間違ってないかもなって思わされた。