ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

牛丼と死

吉野家に来ました。

 

 

何故か分かりませんが、牛丼が好きです。美味い。

例えば私の年収10億円くらいになったとして、それでも食べに来るかもしれない。それくらい好き。なんなら毎日食べてしまうかもしれない。

恐らく牛丼を私がまあまあの頻度で食べていると知った時、世間の目は冷たいでしょうね。世間というか、常識的な人間というか。

健康に悪いとか、もっと良い食べ物があるとか、まあそんな感じでしょう。

でも、私からしたらどうでもいいんですよね。当たり前ですけど。好きなもの食べたいし。周りの目気にしてご飯食べてるわけじゃありませんから。

 

私は恐らくいわゆる恋に恋するタイプの人間かもしれません。思えば、恋愛した時としてない時とで、活力が明らかに違う。そして失恋したら、最初に考えるのは死です。私にとってのオンリーワンから振られたのならそれはもう死を考えるくらいこの世の終わりなのです。

( この死はどちらかというと病み系の死です。)

 

何故私は失恋したくらいで病むのか。

多分ですが、私の人間関係のキャパって1人なんですよね。それは自然と恋人になるんだと思います。

 

少し脱線しますが、友達とか、友情なんかマジで役に立ちませんからね。話も合わないし、つまんないし、「最近ふと思ったんだけど、生き残るために進化してきた生物ってなんで寿命捨てなかったんだろうね」みたいな話を本当はしたいんですよ。割と真面目に気になるので。答え合わせという意味で話がしたいのと、相手はどう考えるのかが知りたい。自分なりに出した答えが間違ってたなら間違っていたということに気付きたい。

そして自分は何故そう考えてしまったのか、そこから自分はどういう人間なのか、相手とはどう違うのかを考えたい、知りたい。

 

( 食べながら書こうと思ったら食べ終わってしまった。ショック。 )

 

でも、そんなことをできる人はいない。少なくとも友達レベルには。

あと私が友情に求めてることが全て恋人に求められるべきものだと気付いたんですよ、つい最近。

私が病んだらとりあえず慰めて欲しい、労ってほしい、心配してほしい、みたいな。

友達レベルだといないんですよねーこれが。だから役に立ちません。というかむしろ心配しなくて当たり前なのかな?死にかけてても誰も助けてくれやしませんでしたよ。

てか恋愛にすら協力してくれませんからね。もうただのカカシじゃん。

 

そんなこんなで、私が人に求めるのは全て恋人に求めるものなわけです。なので失恋は恐らく自分の持ち家が津波で流されたくらいの喪失感があります。被災者の方がいたらごめんなさい。

 

私は今ちょうど軽い喪失感を味わっています。というのも、どうしても今の気になってる人と繋がる未来が見えないんですよ。なんだか嫌われているような避けられているような未来しか見えない。ネガティヴ思考なんですかね。

だからだと思いますが、もう既に失恋したような感じしかしません。実際には起きてないので、軽い喪失感程度で済んでいます。

 

この喪失感の根源みたいなものを探ると、どうやら世間が決める幸せというか、世間体を気にするような感情があるということに気付きました。

例えば、お相手はルックスが良い人でなければ嫌です。私は大したことないのに。

ルックスが良い人と幸せになりたいのは、ルックスが良い人が好きというよりも、ルックスが良い人の隣にいる幸せな自分を周りに見られるのが好きなんですよ。承認欲求の塊ですねこれ。

まあそれ以上はほとんど何も求めないんですけれども、ルックスが悪い私がルックスの良い人を求めるものだから、全然上手くいかない。

そうなると喪失感ばっか味わってて当たり前なんですよねえ。

 

牛丼に戻ります。

私は牛丼が好きです。大好きです。

誰が何と言おうとまた食べるでしょう。そこに人の目は関係ないという考えが存在しているはずなのに、なぜ人生観には存在しないんでしょうか。

私が病んで死にたくなったとして、例えば今気になってる人と一緒に人生過ごせるかもとか考えると死ねません。もしくは死なないでと言われたら多分死にません。

メンヘラかも。

てかこれ私の妄想でしかないね。笑うしかない。

 

普通は死にたいんだから死ぬよってなってもいいと思うんですが、どうも恋愛とか人生観においてはそうでもないらしい。

若いからこその極端でもあるのかもしれません。私は恐らくこの物語の主人公でありたいと願うんだと思います。シンデレラが王子様に巡り合うように、ピノキオが人間になれたように、幸せは必ず訪れるもので、その幸せは周りから幸せだと思われて初めて幸せが成り立つのでしょう。

そして幸せが消えてしまったら、私の人生は成り立たない。王子様が暗殺されたら、ゼペットおじさんが死んだら、幸せにはなれないのです。

 

 

でも、逆に私の人生は牛丼でもない。牛丼が食べられなくなったとしても別に死のうとは思わない。

人間関係のキャパが1人だと、まるで自分の人生には1人の人間しかいないような気がしてめちゃくちゃ不便かも。