ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

「数学(勉強)って何の役に立つの?」に対するロクな回答がない

よく中学生が言ってる台詞ですよね。

 

「数学なんて一生使わない」

 

みたいなやつ。そう思っていた時期が私にもありました。

 

情報ソースとしてはいかがなものかと思いますが、2chとか、質問投稿サイトとかで似たような質問・スレッドが出てて、それに対する反論がクソすぎるんですよね。

 

「数学は論理的思考力を養うのに役立っている」

 

これが恐らく最も多い回答でしょう。

私もこれだと考えていますし、数学力よりもこれがメインでしょうね。

 

でも、それって間接的な理由じゃないですか。

数学を学ぶ意味を聞いているのに、なんで論理的思考力の話が出てくるのかが分からない。

論理的思考力を鍛えるなら論理学でもやればいいんじゃないの。考えるべき物事があったとして、それに対処する方法を教えてくれる気がするんだけど。そして論理的思考力とやらに繋がると思う。

 

アクションゲームは脳を刺激し知能を向上する効果があるという研究があるみたい(一応ゲームにも条件がある)ですが、じゃあ頭良くなるためにアクションゲームするって人がいたとして、そいつ確実に頭悪いですよね。

 

頭良くなりたいなら、自分にとっての「頭の良さ」を定義して、色んな定義とすり合わせて定義に磨きをかけて、その条件を目標として適した行動をとらないといけないんじゃないの。「ゲームができる=頭良い」という定義ならゲームしててもいいだろうけどね。

 

「なんでゲームをやる必要があるの?」「頭良くなるからだよ」とか言ってたら意味分からないでしょ。

 

頭が良くなるからとパズルゲームをやってる人がいたらまずアホ。頭を使うことを楽しんでいるというなら素晴らしいし、それこそがゲームの目的でしょうけど、頭良くなりたいならゲームよりやるべきことがあるでしょうね。

 

 

次は「知識の使い方が分かる」。

 

まず言いたいことは分かりますよ。知識を持ってても使い方が分からなければ意味がないわけで、それをどう使うかを学べるというのは素晴らしいことです。

 

ただやっぱり、別に数学じゃなくていいよねこれ。

 

あと数学の問題って知識使えば解けるって問題しか出題されないでしょ。逆に悪く言えば知識がないと解けない問題。

 

あと数学の問題なんだから数学の知識を使うっていう意識があるわけで、めちゃくちゃ取り出しやすい。

知識が必要なくて、考えれば考えるほど答えが見えてくるっていうのが面白いのに、それを知識の使い方が分かるって理由で知識使えば解ける問題出されても困る。

 

倫理観とか問われる質問とかによくありますけど、色んな考えを基に答えを探っていく方が、明らかに役立つと思うんだけれども。

 

 

他にもありますが、話にならないのでまとめて紹介するだけにします。

「役に立たないと思うならやらなきゃいい」

「教育が間違ってると思うなら変えればいい」

「役に立つ職業もあるよ」

「こんなのもできなくて何ができるの?」

「世の中のものは数学でできている。」

 

面白かったのは、「義務教育が浸透していないような国では識字率が低い。日本は識字率が高いから当たり前のように感じるけど、勉強してなかったら文字も読めなかった可能性もあるんだよ」とか、

 

「数学を大学受験の科目に選択した人は年収が高いというデータがあるから」とか、

 

突然大日本帝国の話が始まり、

 

「仕事につくを"着く"と誤変換しているところを見ると、あなたは日本語の"勉強"が必要みたいですね。」

 

とかいう訳の分からんことを言っている人もいる。

多分「勉強ってやる必要なくね?」と言っている中学生の方が頭良いと思います。

 

 

学生時代は(今も学生ですが)、私も常々感じていましたよ。これ勉強する意味なくね?と。

 

素因数分解。面白いね。仕組みも分かったよ。

 

・・・で?」

 

ってなるわけですよ。

 

そこで伝えるべきは「教養になる」とか「こういったスマホも数学や科学の力でできている。日常に数学はある」とかわけのわからんことではなくて、素因数分解の必要性でしょう。

 

RSA暗号なんかで素因数分解が利用されていたりしますが、「日常に数学は潜んでいて、数学は使われているんだよ」とかいう説明も成り立ちません。

 

私が疑問に思っていたのは「素因数分解が私の人生にどう役立つのか」でしょう。

「よく使われている」とか言われても。

いやだから私はいつ使うの?ってずっと思ってました。

そういった仕事に就く可能性があると言われたこともありますが、じゃあ別にその時に勉強すりゃいいでしょう。その時は必要だと感じているでしょうし、必要なんですから。

 

学生の時のことを思い出して感じるのが、彼ら学生にとっての「勉強」というのはあくまで「5科目の勉強」なんですよね。その先には成績が待っている。でも、成績が良いから何なの?という感じです。

未だに思いますよ、義務教育の間くらいは成績オール1でもいいから、自分なりのやり方で5科目に接しておけば良かったと。

学校には行きますけど、ゴミ教師がテストの点数で怒っていても、自分にとって5科目とは何なのか、学ぶことでどういった世界が見えるのかを考えておけば良かった。そうすれば、少なくとも「勉強したら何が見えるのかが知りたくなった」という理由で、私は勉強を始めていたと思います。

 

 

実際学校とかいう監獄から抜け出してみると、勉強は役に立つというか、役に立つことは勉強(学習)する必要があるというだけで、勉強が役に立つわけではないんだなと気付かされました。

 

頭の悪い人の特徴として最近気付いたんですけど、何事にも意味を与えたがりますよね。これは意味がないとやりたくないという意味ではなく、何事にも意味はあると言いたがるってことです。

クラブに行く人がクラブの批判に対して「色んな人に会える」とか「音楽を楽しめる」みたいなことを愚痴ってたりするんですけど、それ別にクラブじゃなくていいから。クラブなんて娯楽の1つなんだから意味なんかない自分が楽しいから行くんだよとむしろ誇ればいいのに。ジョージ・マロリーを見習ってください。

私もゲーム大好きですけど、ゲームに意味がないと言われたら反論できませんよ。楽しいからやってるだけです。山があるから登るんです。

 

あと、勉強は必要だと言っている人がよく「自分がやりたいことが分からない」とか言ってると説得力ないなと思います。

自分のやりたいことから逆算して、やるべきこと(勉強すべきこと)をやるのが正解でしょう。数IIIの知識とか、数IIIから学べることは、遊んで暮らしたいと考える人には役に立ちません。

 

遊んで暮らしたいとは具体的にどういうことか。

「遊んで暮らしたい」の「遊ぶ」はどういう意味か。

遊ぶことで暮らしが成り立つ人生にしたいのか、何か別の簡単で手軽(と思えるよう)なものをして暮らしが成り立つ人生にしたいのか。

遊んで暮らすというのはつまりお金が必要になるが、じゃあ稼げる職業の中で自分がやりたいもの・できそうなものはどれか。

その職業に必要となる知識は何か。

 

これらが決まったら、じゃあ勉強しようとなるんだと思います。

例えば弁護士になりたいならさっさと法律の勉強すりゃいいんですよ。しょうもない日本史の教科書より六法全書買えばいい。

そこで数学の勉強とかさせられるなら悲劇でしかない。

 

このブログだと前にも似たような話した気がしますが、ゴールからの逆算が必要なわけです。目的もなく勉強してても仕方がありません。

普通に進んだら何十分かかるのか分からないくらい複雑な迷路って見たことある人が多いと思うんですけど、あれゴールからやったら一瞬で解けるんですよね。当たり前ですけど。

逆算しなければ人生は迷ったり行き止まりにぶち当たったりするよってことです。

それを考えずに闇雲に勉強したりさせたりするのはどうかなと。シンプルに言うと馬鹿のやることです。

 

「勉強する必要ある?」って言ってる子は勉強が理解できない馬鹿だとよく言われがちですが、する必要があるのかと疑問に思えるくらいの知能はあります。必要も目的も分かってないなら頭に入らないのが当たり前な気もします。ドイツ語の勉強をさせられるとして、必要も目的も分からなければ頭にも入らないし意欲もないから余計に頭に入らないでしょう。

 

そしてそれを尋ねようものなら

「いいからやれ」「そんなことを考えてる暇があるなら勉強しろ」

とか怒られるわけですよね。

 

つまり教師はヒトラーである。おわり。