ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

どうしてみんな「死」が分かるのだろう

私には死というものの悲しさ、恐怖などが分かりません。いや、大切な人やペットが死ねば悲しいですよ。そして今私の隣で寝ている猫がいつか死ぬんだということに恐怖を覚えますし、死んでほしくないとも思いますよ。でもそれは死に対しての悲しみや恐怖などではないんです。

 

なぜみんな死が怖いのだろう。ここ最近考え続けている気がします。私には死が全く分かりません。生物の生命活動の停止、みたいな話は分かりますよもちろん。でもそれが悲しいとか怖いのが分からないんです。

例えば大切な人が夢を追ってアメリカに行く。よく

ドラマなんかでありますよね。で、一生会えないみたいなレベルで泣いたりするじゃないですか。あれと死って何が違うんでしょうか。人の死が嫌なのは一生会えないからなのであって、死が嫌な人っていないんじゃないかとさえ思う。

現に、どっかで殺人事件があって1人死んでも、誰も気にせず生きてるじゃないですか。社会は何事もなく回ってるじゃないですか。死に恐怖を感じるのなら、悲しみを感じるのなら、今年自殺した約9000人の1人1人の命の尊さとやらに胸が裂ける思いなんじゃないのか。

( 約9000人は警察庁調べ。5月までの暫定値だそうです。毎月約2000人が死んでます。そのうち6000人が男なのがなんか不思議。投資とかで財産溶かした系の人が多いのかな。だとしたら、女はリスクを取りたがらない傾向にあるのかな。私の考えでは、女側にはメンヘラ系が多そうな印象なんだけれど。)

 

というか死がそもそもなんなのか、99.9%の人は分かってないでしょう。分からないからこそ、死に対しては悲しいと思えないんです。

死って本当になんなんでしょう。死。ゴリラですら死んだ仲間を埋め、花を供えるらしいですね。その死とは、一体なんなんでしょう。

生物には必ず死が訪れます。寿命という時限爆弾は、例外なく全ての生物につけられている。生まれた時からタイマーは一刻たりとも止まらない。そしてタイマーが止まる時、それは死を意味する。

ゴリラですら花を供え、仲間の死を悼むことができる。それができない私はゴリラ未満なのか。

 

もし仮に死後の世界の存在が証明されたら、殺人罪の刑の重さは軽くなるのだろうか。

死がもっとこう、海外旅行のように扱われるのだろうか。

 

でも、死後の世界からこちらには戻ってこれないだろう。それじゃ蘇生しちゃう。

そんな世界になろうとも、例えるなら死というのは、別世界への監禁だろうか。普通の日常へは戻れないという状況を作るなら、殺人罪の刑は軽くはならないかもしれない。

そして死に対する恐怖は、やはり変わらないのかもしれない。

 

そもそも、全生物に当たり前のように備え付けられている寿命に対して、生物が恐怖するのは欠陥なんじゃないのか。

「俺wwwwwあと2年しか寿命がないんだがwwwww」くらいな気持ちの方が、子孫を残し、遺伝子を次世代へと引き継ぐ生物としての役割を果たしやすいんじゃないのか。

なんで死に恐怖を抱くのだろう。

死が怖いからこそ、種の存続に必死になるから?でも、子供ができたら、余計に死が怖くなるんじゃないのか。今まで築きあげた地位、名誉、財産、家族が、ゼロになるのだから。

 

ソクラテスっぽく言うなら、私は、死がなんなのかを知らないということに気付いた、ということになるのかもしれない。そして死がなんなのかを知らないということに気付いていない人は、死というものに恐怖を覚えるのかもしれない。死というより、もっと他に何か恐怖する要素があるはずなのに。

死がなんなのか分からないことを知ってる人は、死に怯えず、

死がなんなのか分からないことを知らない人は、死に怯える?

なぜ?

死を知らないと気付けば、死に怯えなくなるというのは、死に怯えることで種の存続をするという設計がされた生物からすれば、むしろバグなんじゃないのか。気付いてはいけないような気もする。なぜ気付かないようにはできていないの?

気付いちゃったら存続しなくなるんじゃないの?

存続する価値もないほどの遺伝子ってことなのか?

 

うーん。

やっぱり、分からない。