ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

小学生の時の勉強に対する苦い記憶

最初に勉強でつまづいたのは小学1年生の時。日記だった。厳密には勉強ではなく宿題なんだけど。

毎日その日の出来事を日記に書くという宿題があった。加えてノート1ページ分の家庭学習。家庭学習もめんどくさくてやらなかったけど、日記が幼いながら意味が分からなかった。

毎日毎日そんな新しい体験ないじゃん。○○くんと遊びました。終わり。みたいなのしかないと思うし、そもそもその○○くんも○○ちゃんも毎日遊ぶわけじゃない。親にはあまり外には出ないでほしいと言われてたし、なおさら新しいことなんてない。

嘘をつくという発想がなかったのもあって、日記が書けなかった。どうせ日記書いてないから居残りで書かされるし(日記のための居残りって…)、家庭学習やろうが怒られるんだよね。小1で宿題の習慣ができなかったわけだから、それで小学校は6年間、「家庭学習を頑張ろう」と成績表に書かれるほどできなかった。てかやる意味も分からなかったけど。

次に帯分数。何あの一生使わない形式の分数。恐らく分子と分母が同じ時に1になるんだよっていうのを教えたかったんだろうけど、わけわかんなくて分数嫌いになった。でも普通の分数は理解できた。帯分数とはなんだったのか。

ただ今度は分母が違う分数の足し算が理解できない。通分とかいうアレ。いわゆる最小公倍数が分からなかった。1/3+1/4なら、3の段と4の段の共通する数字を見つけるために、別に全部答え丸暗記したわけじゃないから両方を検索する必要があった。

後から結局自分でやり方を見つけた。分母同士かけたら答え出るじゃん。1/3と1/4なら、普通に3×4=12でいい。あとはそれぞれ4と3を分子にかけるだけ。教師は最小公倍数の話しかしなかったけど、分母同士かければ答え出しやすいって知らなかったのか効率良いやり方を教えたくなかったのか、分からない。

ただこのやり方だと1/6と1/4は24になってしまう。

「正解は12だ。偶然なのか、半分だから覚えやすい。今後気をつけよう。」

こんな感じで思考錯誤しながらやってた。すごく懐かしい。今でも分数を扱う時はお世話になってる。

次に嫌だったのは割り算。みんなサクサク割り算していくもんだから恐怖すら覚えた。普通の割り算さえ理解できないのに、あまりのある割り算まで進みやがった。しかもますます意味が分からない。

割り算が分からないことに、親は何故かブチギレ。家で割り算の練習をやらされたんだけど、解き終わるまで逃がしてくれないから、やり方分からないし○を49個書いて7で区切ろうとしたくらい。さらに「そんなことをしないとできないのか」と追い打ちでブチギレ。多分人生において、あの時点では1番泣き喚いた。今思い出しても吐き気がする。

後から気付いたけど、結局「かけ算を使う」ということを知らなかっただけだった。25÷5なら5の段を調べれば出てくる。27÷5なら近い数字を持ってきて、残りはあまり。こんなことがどうして分からなかったんだろうとその時は自分を責めたんだけど、むしろ自分が周りと違うという可能性をこの時点で自覚すべきだったかもしれない。もしくはなんでかけ算の一言も教えてくれなかったのかと怒りを覚えても良かったと思う。

 

人と理解のポイントがズレてることが多々あるから、何か新しいことを始める時は絶対独学で、特に自分のひらめきを頼りにする。ドラムを少しやってたんだけど、独学のために調べたら「手と足が違う動きをする」とどのサイトにも本にも書いてあった。絶対無理だと思った。

ただその後ひらめいて、「逆に同時に動かすと考えれば良くね?」と気付いてから急成長。一気に上達した。中学生ながら、自分で考える大切さを感じてた気がする。

 

 

嫌な思い出を羅列してみて、苦手なのは算数なんだなあという印象。今でも数字には弱い気がするし、分からないでもない。

結局のところ高校に上がってからも、理解が後からということはまあまああった。しかも定期テストの後とか。早生まれは実際1つ年下だから同級生には理解力が劣ると聞いたことがあるけど、それなのかなあ。