ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

そこらへんの概念Aを壮大な概念Bに繋げたがる頭の悪い人

とある自分の知り合いが「英語の訛りはアイデンティティだ」みたいなことを言ってた。別によくある考え方だし、あまり気にしなかったんだけど、その人は数分前に「英語は話すツールであって、話すことよりも何を考え何を伝えるかの方が大切だ」ってドヤ顔で言ってたのを思い出した。

英語専攻で英語話せないのに。

 

まあここでは話せるかどうかは重要じゃないんだけど、問題は「訛りはアイデンティティ」というところ。

つまり英語を話すだけでアイデンティティが証明できるってことなんだろう。訛りはそもそも母語の影響で生まれるものだから、例えばメキシカン訛りはメキシコ出身であるというアイデンティティ

 

1つの言語を、内容に関わらず、話しただけで自分が何者か証明できるなんてありえないと思うんだけど。まず訛りで証明しようとは思わないし、証明してなんになるのかも分からないけどね。というか喋っただけで証明したいなら日本語話してればいい。

 

しかもこの人、「英語は話すことよりも何を伝えるかが大事」って言ってる。

じゃあ自分の考えで自分という存在を確立したらいいのに。独創的な発想とか特に自分が出ると思うんだけど。大した考えもないから「訛りはアイデンティティ」とかいう考えになるのかな。これですらそこらへんの石ころ並によくある考えだし。

結果が出せない人が「過程も評価しろ」って言う姿に似てる。

 

なんならコミュニケーションツールとして訛りはノイズみたいなところがあると思う。自分はノンネイティヴで、それほど英語力高くないからあまり声を大きくしては言えないけど、本当にツールとして考えるなら常識的な発音をしてほしい。スウェーデン訛りとかjとyが逆になるんだよ?イエローがジェローになるの。もはや別の言葉だよね。それでも訛りはアイデンティティなのかな。日本語でだって、焼肉を邪気肉と発音されたら困るでしょ。なんか禍々しい。

本当に伝える気があるなら、訛りをできるだけ無くして話そうとする姿勢が大切だと思うんだけど。

 

正直個人的に訛りは仕方ないと思ってる。第一言語は自分の年齢とインプットアウトプットの量が比例するし、その影響が第二言語に出たって仕方ない。でもそれをアイデンティティだとか言い出したらめんどくさい。

 

そこで思いついたのが、タイトル。

訛りっていう単純な概念を、アイデンティティみたいなふわふわした壮大な概念に繋げて考える人って多いのかなって。

例えば「あなたにとってラーメンとは?」「ラーメンは私にとって魂です!」みたいな。前に流行ったネットスラングの、クラナドは人生みたいな。千本桜を国歌にすべき(これは少し具体的)だとか。ラーメンはテレビの演出だけれど、こういうのを本気で考えてる人っているんだなあと。

 

なんかすごいモヤモヤする。頭の悪い人は思考がぐちゃぐちゃに絡まってるのかな。英語はただの言語であって、コミュニケーションツールであって、そこにアイデンティティとか存在しないと思うんだけど。