現実的な非現実さ、非現実的な現実さ。
タイトルがなんか重そうな感じだけど、結論から言うと幸せな話。
確実にブログの趣旨に合ってない。でも自分の根本的な考えに影響を与えそうな出来事だったから書く。
自分はよく白昼夢を見る…と思う。最近白昼夢の何たるかを知ったんだけど、自分がよくやるアレが白昼夢なのかは分からない。
で、その白昼夢で見るのは、知り合いに自分の考えをシェアして周りと意見交換をする姿が多い(いわゆる議論かな?)。
なぜなら現実ではできない非現実的なことだし、人の意見を聞くのは楽しいから。こっちにとっては表面的な会話だけしてる現実の方が非現実的で気持ち悪いし、つまらない。でも何かを言うだけで皮肉だの頭が良いと思ってそうだの上から目線だの言われるから、(まあこちらにも多分問題はあるとしても)実際には不可能なことを頭の中の世界でやることで、非現実的な現実を作り上げてる。
あとは、実際にそれを現実で行うことになった場合の予行演習のため。まあ本番なんて滅多にないけど。
徒歩2時間かけて行く場所で、高校の時の知り合い5人(計6人)と集まる飲み会があった。
その間はもちろん白昼夢。
久々に会う同級生はどう変わったのかどう変わってないのかがどうしても気になっていた。
考え方、価値観、思考回路。何か面白い考え方を発見したら参考になるし、注目しておきたいとも思ってたし。
だから予行演習も兼ねつつ話題の厳選を行なった。
しかし2時間も歩いたとはいえ、白昼夢の“現実以上にリアルな非現実”は、精神的疲労を感じさせるには十分な重苦しさだった。
久々に会うと親ですら人見知りしてしまうのに、新しい人に会うのはストレスというのも含めて。
察してた通りに、その飲み会は、考え方のシェアというレベルではなかった。
最近何してるのか。卒業後はどういう生活をしてるのか。なんか痩せた、などなど。
別に斜に構えてたわけじゃないけど、先に見ていた白昼夢のせいで期待外れのような感覚に陥った。
2時間も見てた白昼夢への期待は裏切られた。白昼夢の世界はやはり仮想現実でしかない。
ただその“現実の非現実さ”は、どこか夢物語のような、まさにディズニー映画のようなカラフルさを与えてくれた。
灰色の不安を抱えて過ごしていた日常をペイントしたような、非日常感。
久々に会った高揚感からなのか、高校時代の思い出にふけることで現実逃避したからなのかは分からない。ただ、1度期待外れとさえ思った「くだらない」話をするのがとてつもなく楽しかった。
現実とは思えないその非現実さは、永遠に続くような気さえした。
続いてほしいと願った。
結局5時間ほどで終了した。解散という言葉は目覚まし時計のように現実に引き戻した。
それからまた2時間歩いて帰らなければいけないのだが。
ただその2時間もまた、夜とは思えないほどに色で溢れていた。良い夢を見た後はしばらく、その夢を思い出して気分が良くなる。
頭の悪い人はもちろん好きじゃない。
矛盾まみれの考え方。論理破綻に気付かない愚鈍さ。
仕事を与えないと「仕事がなければ無能も有能もない」とケチをつける。
でも与えると無能。
今日会った彼らは、今まで会ったどんな無能とも比べ物にならないほど有能だけれど、やはり自分とは違う気さえした。
だけど、その違った彼らは、現実の非現実さで楽しませてくれた。
「頭の良さなんて関係ないんだよ。」
誰かが言ったこの言葉の意味が、なんとなく分かったような気がする。
もらったバラの花、枯れなければいいのに。