ストレスダイアリー

愚痴のジャックポット

二元論トーナメント

私の考える二元論と、一般的に極端でダメとされる二元論が違うっぽい。

 

よく思考の落とし穴的に扱われる二元論は、敵か味方か、味方でなければ敵だ。私の考えに賛同するのは味方、しないのは敵だ。みたいな考え方のこと。0か100かみたいな発想。

 

私の考える二元論は、トーナメント式です。頭の中ではトーナメント表で考えてるんだけど、多分樹形図と言った方が分かりやすいかも。

賛成か反対かみたいな二元論でシンプルに意見を言いたいときは、自分の考えがどちらに属するのかを考える。考えを構成する要素を細かく分解して、賛成と反対のどちらの要素がより多く自分の考えを構成しているのか考える。

自分の考えをだんだん分解する過程で、枝分かれしていくイメージがある。トーナメント表だと優勝のところに自分の考えがあって、決勝戦のところで2つに分けます。賛成の要素と反対の要素が絶対あるので。それをさらに分解、分解していって1回戦が最小の要素になる感じ。そもそも1回戦に辿り着かないくらい要素が少ないこともあるけど。

賛成と反対の定義から自分の考えがどちらか逆算することもある。てかこっちの方が速い。

 

多分自分の考える二元論は、イデアみたいなものだと思う。

私たち人間は近いものをそれと認識する能力があるそうで、イビツな形であっても丸っこいやつは丸として扱えるらしい。

ただ逆に完全な丸(イデア)というのはこの世に存在しないらしい。拡大すれば絶対に角があるわけで、どれだけ正確な丸であろうとそれは丸ではない。十万角形、みたいな。

でも脳の補正能力によって十万角形だろうと丸として扱われる。イデアではなくともイデアに近ければセーフ。

あとは色なんかもそう。完全な青とか、完全な赤ではなくとも、青っぽければ青、赤っぽければ赤。ローソンは青、ファミマは黄緑。比率にもよるんだろうけど例えばワインレッドとか、私は赤として認識します。フクシャは赤紫色ですが、ピンクに見えます。ボルドーは茶色味が強い赤らしいけど、どう見てもただの茶色。茶色味が強いでは済まされないでしょあれ。

 

自分の中の二元論でも同じく、自分の持つ考えはどこに属するのかを考える。恐らくダメな二元論は賛成か反対かみたいな2つのスタートしかなく、考えの土台の種類がそもそも少ないため、考え自体も薄っぺらくなるのだと思います。賛成側も少しは反対の意見に賛同できる部分があるはず。逆も然り。その2つの両方を兼ね備えたものが、いわゆる柔軟な発想ってやつなんだと思う。

 

例えば本は紙か電子か、という話があったとして、紙の良い点と電子の良い点で言い争っても仕方がない。分厚いのに頻繁に持ち運ぶ必要がある本は電子で。じっくり読んだり、何度も読み返したいものは紙で。辞典ならすぐに調べやすい電子で。ただ辞典をパラパラとめくって色々見たいなら紙で。

 

結局のところ良いとこどりがベストだよね。